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公害企業主呪殺祈祷僧団(羽永光利)

キュレーション:アサクサ、青山|目黒
本展の開催地は、Para Site レジデンシー (香港)となります

23 AUG - 14 SEP 2019

オープニングレセプション:2019年8月22日[木] 6-8pm;
クロージングパーティー:2019年9月14日[土] 6-8pm


本展の開催地は、Para Site レジデンシー (香港)となります。[LINK: Curse Mantra: How to Kill Factory Owners, Para Site]

有史以来、人々の生死を決定づける特権は常に権力の側にありました。近代がもたらした生政治的な管理体制は、この特権を国家や企業に委ね、個人の命や身体が世俗的で不安定な市場によって左右される構造を生み出しました。一方で、近代という制度もある特定の歴史と価値体系によって生み出されたゆえに、それとは異なる宗教や文化に対して十分な考慮がなされてきたたとは言えません。本展では、こうした状況のなか置き去りになったある感情の摂理に光を当てます。

1960年代の高度経済成長期においては、環境汚染を伴う公害が表面化し、イタイイタイ病や四日市ぜんそくなどの死に至るさまざまな公害病が各地の住民を襲いました。原因解明のための調査が終結をみないまま、工場では有害物質が垂れ流しが続き、住民の健康よりも企業利益を優先させるような地方政治家や官僚、企業主の癒着により、事態の解決はさらに難航しました。1970年、犠牲者の言葉にならない苦しみが続く中、8名の仏僧とその信者によりある抗議グループが組織されます。彼らは、抗争が続く工業地帯へ全国行脚を行い、撃鼓唱題し、企業主を死に至らしめるために護摩祈祷の火を焚き、阿毘遮迦(アビチャールカ)と呼ばれる調伏の儀式を行いました。

芸術、政治、宗教を縦断し、密教呪術の実践と思想に裏付けられた前衛的活動を展開した呪殺祈祷僧団(1970年~不明)は、公害がもたらした死者による精神的・肉体的な復讐を目指して立ち上がり、急速な変化の途上にある戦後社会において、道徳的、感情的不公正の状況を暴きました。それはまた、近代の司法制度では不能犯と見做され訴追ができない「呪殺」という方法で挑んだ、産業家に対する敵討だったと言えます。こうした活動は、9世紀以降に真言宗がたどった軌跡と、鎮護国家の名の下で呪術が体制側に用いられた歴史に批判的な立場から生まれ、困窮者の手に宗教の力を戻すことを目的としていました。

「呪いのマントラ」は、呪殺祈祷僧団のメンバーである僧侶による文献と、僧団との活動を通じて後に出家した羽永光利(1933年〜99年)によるドキュメンタリー写真を合わせて展示します。反企業および反政府活動の前例を振り返る本展では、カタログに『呪いのマントラ小史』、『茶番としてのデモクラシー(CIAを考える)』の二篇のエッセイを収録し、さまざまな信念が形作られる構造の成り立ちに目を向け、現代における進歩主義的な政治手段の有効性に疑念を投げかけています。

本展は、キュレーターインレジデンス・プログラムの一環として香港パラサイトに滞在中の大坂紘一郎(アサクサ)が、羽永太朗氏からの寛大な支援のもと、青山|目黒と共同でキュレーションいたしました。ジェイム・マリー=デイヴィス、Jiaru Wu、および香港パラサイトのスタッフ一同にこの場を借りて御礼申し上げます。

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羽永光利 (東京生まれ、1933年~1999年) は、芸術、政治、社会の交差領域で活動するフォトジャーナリストであり、1960年代から80年代までの前衛芸術と学生運動の熱心な支持者。羽永作品は、『朝日グラフ』(1970年)や『LIFE』(1964年)などの影響力のある雑誌に掲載されているほか、展覧会やパフォーマンスの歴史的に貴重なドキュメンテーションとして近年再び注目を集め、ポンピドゥーセンター(パリ、1983年)、アジア文化センター(光州、2015年)、テートモダン(ロンドン、2015年)、国立近代美術館(東京、2018年)などで展示されている。

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展覧会
2019年8月23日[金]〜9月14日[土]
会場:Para Site レジデンシー | 5F, 30 Queen Street, Shueng Wan

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公害企業主呪殺祈祷僧団
羽永光利

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