アサクサは、オノ・ヨーコとリクリット・ティラバーニャによる二人展『共に行動すること』を開催いたします。構築された状況へのライブ介入、メディア・スペクタクルの転覆的な使用、観衆に直接働きかける草の根運動や、ゲーム性への志向など、前衛芸術のさまざまな戦略を用いて、その活動の概念的な地平をおし広げた二人の作家を取り上げます。社会的な、または政治的な要請のために人々が団結した歴史的経緯は、共に行動することへの期待と可能性を示唆してきました。イベントスコアと指示書をもとに構成さる本展は、人々を日常の関係性のうえに繋ぎ、相互の交流と疎通を訴えてきた彼らの作品において、「共に行動すること」の有効性を検証していきます。同時に、若手作家の参加による、オノ、ティラバーニャ両氏の作品再演と、二人に向けられたトリビュー ト・パフォーマンスを行い、社会的介入における身体の重要性を強調しています。
アーティスト、ミュージシャン、そしてフェミニズムと世界平和への生涯にわたる活動家であるオノ・ヨーコ(1933年生まれ) は また、観客や参加者との相互の関係性を重視したフルクサスの主要人物の一人と目されています。ロンドン、東京、ニューヨー クと多国籍なアートコミュニティーを行き来した1960年代、東洋思想が世界的な文化潮流に大きな影響を与えていく状況 を背景に、読者に内省的な行動をうながす100あまりの詩集《グレープフルーツ》(1964年) を上梓します。その後、ミュージシ ャンのジョン・レノンと結婚した1969年、オノはレノンと共にハネムーンの機会を反戦のメッセージを捧げる手段として、《Bed Piece》(1969年) を行います。アムステルダム・ヒルトンホテルの一室で1週間、二人はベッドに横たわったまま、世界中から招 かれた報道記者と議論し、マスメディアに反戦を強く訴えかけました。寝室を利用することでプライベートとパブリックの境界 を揺るがし、非暴力の抵抗と平和促進を求めたメッセージは、当時の急進的な平和主義を加速させるとともに、国家権力の干 渉から解放された共同体を生み出す構想を内包していたといえるのではないでしょうか。
アルゼンチンで生まれ、タイ、エチオピア、カナダで育った リクリット・ティラバーニャ(1961年生まれ) は、人々の流動性がコミュニティー構築を媒介するグローバル時代の条件下に過ごしました。
アーティスト、ミュージシャン、そしてフェミニズムと世界平和への生涯にわたる活動家であるオノ・ヨーコ(1933年生まれ) は また、観客や参加者との相互の関係性を重視したフルクサスの主要人物の一人と目されています。ロンドン、東京、ニューヨー クと多国籍なアートコミュニティーを行き来した1960年代、東洋思想が世界的な文化潮流に大きな影響を与えていく状況 を背景に、読者に内省的な行動をうながす100あまりの詩集《グレープフルーツ》(1964年) を上梓します。その後、ミュージシ ャンのジョン・レノンと結婚した1969年、オノはレノンと共にハネムーンの機会を反戦のメッセージを捧げる手段として、《Bed Piece》(1969年) を行います。アムステルダム・ヒルトンホテルの一室で1週間、二人はベッドに横たわったまま、世界中から招 かれた報道記者と議論し、マスメディアに反戦を強く訴えかけました。寝室を利用することでプライベートとパブリックの境界 を揺るがし、非暴力の抵抗と平和促進を求めたメッセージは、当時の急進的な平和主義を加速させるとともに、国家権力の干 渉から解放された共同体を生み出す構想を内包していたといえるのではないでしょうか。
アルゼンチンで生まれ、タイ、エチオピア、カナダで育った リクリット・ティラバーニャ(1961年生まれ) は、人々の流動性がコミュニティー構築を媒介するグローバル時代の条件下に過ごしました。
スーパー16mmで撮影された154分の映画作品《Lung Neaw Visits His Neibours》(2011年)では、自身が国籍をもつタイのチェンマイに帰省し、年老いた一人の農夫の生活を追います。のどかな田園風景の中で、隣人を訪れ会話をする調和のとれた毎日と、主人公の自然に対する慎ましやかな態度を描きだす本作は、生態系を受け入れる多様性への理解と、東南アジアのある質素な共同体を支える「足るを知る」謙虚な精神を称揚しています。また本展では、これまでも多国語に翻訳し発表してきたポスター作品《Do not Ever Work (決して働くな)》(2016年) の日本語版をあわせて発表し、来場者の前に差し出しています。アンテルナシオナル・シチュアシオニスト (IS) の創設メンバーであるギー・ドゥボールの落書きを引用したこのスローガンによって、ティラバーニャはコミュニティーの根元的価値観への訴求と、労働力と資本関係の批判に取り組んでいます。
フルクサスをはじめとする前衛芸術の挑戦は、あらゆる権威的な社会関係を疑いにかけ、不断の、絶え間ない妨害を扇動してきま した。これらの諸条件は、近年に見られる社会に介入するアートの潮流によって新たに更新されていきます。多文化共生の美学に 結びつき、すれ違う人々を繋ぎ止めるこうした流れにおいて、本展は次のような疑問を提起しています。アートはどのようにして社 会的結束を支援することができるのでしょうか。過去の ーしばしば失敗したー ユートピアへの実践とその遺産は、現代の左派に おいてどのように再加工されうるのでしょうか。前進的な生活態度を生みだす文化の可能性を維持し、おし進めるために、いまど のような布石を打つことができるでしょうか。
『共に行動すること』展は、ニコラ・ブリオーの《関係性の美学》(1998年) が提示した視点に基づいて、キュレーションされていま す。また会期中は参加作家の協力により、オノ・ヨーコの《グレープフルーツ》(1964年) を参照したトリビュート・パフォーマンス と、リクリット・ティラバーニャの指示書レシピ(ハンス・ウルリッヒ・オブリスト編集《ドゥーイット:ザ・コンペンディウム》2013年より) の再演が行われます。
フルクサスをはじめとする前衛芸術の挑戦は、あらゆる権威的な社会関係を疑いにかけ、不断の、絶え間ない妨害を扇動してきま した。これらの諸条件は、近年に見られる社会に介入するアートの潮流によって新たに更新されていきます。多文化共生の美学に 結びつき、すれ違う人々を繋ぎ止めるこうした流れにおいて、本展は次のような疑問を提起しています。アートはどのようにして社 会的結束を支援することができるのでしょうか。過去の ーしばしば失敗したー ユートピアへの実践とその遺産は、現代の左派に おいてどのように再加工されうるのでしょうか。前進的な生活態度を生みだす文化の可能性を維持し、おし進めるために、いまど のような布石を打つことができるでしょうか。
『共に行動すること』展は、ニコラ・ブリオーの《関係性の美学》(1998年) が提示した視点に基づいて、キュレーションされていま す。また会期中は参加作家の協力により、オノ・ヨーコの《グレープフルーツ》(1964年) を参照したトリビュート・パフォーマンス と、リクリット・ティラバーニャの指示書レシピ(ハンス・ウルリッヒ・オブリスト編集《ドゥーイット:ザ・コンペンディウム》2013年より) の再演が行われます。